結城浩のはてなブログ

ふと思いついたことをパタパタと書いてます。

フィードバックに対する敏感さ

文章(コンテンツ、作品、創作物、…)が、フィードバックに対してどれだけ敏感かを考える。
たとえばWikiはもっとも敏感なものの1つ。フィードバックがかかると(つまり誰かが修正をすれば)それで文章(マスター)本体が書き換わる。
それに準じるものは、blogやWeb日記、その他の活発に更新しているオンラインのコンテンツ。他の人からメールなどで著者にフィードバックがかかると、著者がマスターを書き直すことになる。
デジタル化されている文章であっても、マスターが著者の手元に存在しない場合、フィードバックがかかるのは遅れる。たとえばフリーソフトに同梱されているREADMEを考えよう。著者が自分のREADMEを書き直しても、すでにソフトを入手したほかのユーザにその反映は伝わらない。ユーザ登録しているユーザに対して「新しいのが出ましたよ」と連絡するか、ユーザがオフシャルサイトに行って新しいのをダウンロードしなければ反映されない。HTMLのようにマスターを毎回見せているわけではなく、コピーを配布しているからこれは当然だ。
いうまでもないが、紙などの別媒体に載せてしまった文章のフィードバックに対する反応は極めて鈍くなる。
このようなフィードバックに対する「敏感さ」と、そのコンテンツに対する「信頼」とはどのような関係にあるのだろうか。しょっちゅうフィードバックがかかって改訂されるものは常に最新だから信頼できる?いや、そうとも限らない。変化しないからこそ信頼できるというものは多い。いままさに開発が進行しているソフトの場合にはドキュメントも合わせて頻繁に更新されているほうが信頼できる。でも、いったんstableになったソフトに対するドキュメントが頻繁に更新されていたら「いつになったらドキュメントを安心してダウンロードしたらよいだろう」という気もちになる。
…という話をぼんやりと考えていたのだが、面白そうな、でもあたりまえのような考えにしか行き着かなかった。何か面白いダイナミクスと、その何かを測定する指標がそこにありそうなのだけれどね。