結城浩のはてなブログ

ふと思いついたことをパタパタと書いてます。

つれづれなるままに

何をするともなしに一日を過ごし、机に向かって心に浮かんでくるあれやこれやを、あてもなく書き留めてみますと、何とも不思議な気分になります。(徒然草 序段)
つれづれなるままにひくらし すずりにむかひて こころにうつりゆくよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしうこそものぐるほしけれ。

この木、無からましかば

神無月の頃、栗栖野というところを通って、とある山里に人を訪ねました。ずっと続く苔の細道を踏み分けていくと、庵がぽつんと立っており、落ち葉に埋もれている筧から垂れている水の音の他には、音を立てるものはまったく何もありません。閼伽棚に菊や紅葉などの枝をさりげなく置いているところを見ると、こんな寂しいところにも住んでいる人がいるのでしょう。このような住まい方もできるのだなと、しみじみ周りを見ていますと、向こうの方にある庭に大きな蜜柑の木があって、枝もたわわに実がなっているのが見えました。しかしその木の周りは厳しい囲いがしてあります。これにはいささかがっかりしてしまい、この木がなければよかったのに、と思いました。(徒然草 第十一段)
かみなづきのころ くるすのといふところをすぎて あるやまざとに たづねいることはべりしに はるかなるこけのほそみちをふみわけて こころぼそくすみなしたるいほりあり。このはにうづもるる かけひのしづくならでは つゆおとなふものなし。あかだなにきくもみぢなど をりちらしたる さすがにすむひとのあればなるべし。かくてもあられけるよと あはれにみるほどに かなたのにはに おほきなるかうじのきの えだもたわわになりたるが まはりをきびしくかこひたりしこそ すこしことさめて このきなからましかばとおぼえしか。

良き人の物語するは

品がある人が話をするときには、たくさんの人がその場にいても、たった一人に向かって話します。それなのに自然と他の人まで引き込まれて聞いてしまいます。ところが品のない人が話をするときには、誰かに向けてではなく、皆に対してでしゃばり、自分が見てきたかのように話します。なので皆同じように爆笑し、大騒ぎになってしまいます。こういうのはたいへん騒々しいものです。(徒然草 第五十六段より)
よきひとのものがたりするは ひとあまたあれど ひとりにむきていふを おのづからひともきくにこそあれ。よからぬひとは たれともなく あまたのなかにうちいでて みることのやうにかたりなせば みなおなじくわらひののしる いとらうがはし。