2004-08-29 礼拝のある日は 礼拝のある日は、自分の生活を少し俯瞰しているような心持になる。 いつもは、自分が自分の生活に密着している。ページに顔を密着させて本を読んでいるようなものだ。でも礼拝のメッセージを聞いているうちに、ふっと顔がページから離れる。つまり自分の生活を自分の外側から見つめるようになる。いろんな問題はあり、悩み事もある。でも、私はいまここに生きている。生かされている。自分の力ですべてを何とかしなくちゃ、という思いからふっと自由になり、「いと高き方」の言葉に耳をすます。 私は生きている。