結城浩のはてなブログ

ふと思いついたことをパタパタと書いてます。

われはロボット

先日、本屋さんでふと『われはロボット』を買った。とても昔、小学生か中学生のときに「ロビイ」だけは読んだ記憶がある。今回再読してみて非常に驚いた。これは名作ですよね。シンプルな「ロボット工学の三原則」というテーマを使って、これほどすばらしい変奏曲ができるとは。ほろっと来たり、考えさせられたり、くすっと笑ったり、ちょいサスペンスが入ったりする連作。
ロボットでも人工知能でもいいけれど、「これは人間と言えるだろうか」というのはよく行われる議論である。主張の細かい分類とその解説は、かの有名な『ゲーデルエッシャー・バッハ』に詳しく出てくるが、いま書きたいのは、私が考えた1つのことだけ。
「ロボットは人を愛することができるだろうか?」
私はこの答えを知らない。現在のところはロボットが「人を愛する」という状態には程遠いと思うけれど、遠い遠い未来にはどうなるかはわからない、と思っている。でも、きっと次のことはいえるのではないだろうか。
「もしもロボットが人を愛することができるなら、罪をおかすこともできる。」
つまり、もしもロボットが人を愛することができるような状態になったとしたら、そのロボットは自由意志を持つだろうし、罪をおかすこともできるだろうし、その罪に悩むこともあるだろう。つまりは、そのような状態になったロボットは、人間同様にイエス・キリストの救いを必要とする。
私はそんな風に思っている。