結城浩のはてなブログ

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はてなダイアリーの一冊百選

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』ダグラス・R・ホフスタッター著、野崎 昭弘、はやし・はじめ、柳瀬尚紀訳(ASIN:4826900252)
私はこの本をもう20年以上も繰り返して読んでいます。買ったのは大学生のころ。いまでもまだ、読み返して飽きることがありません。
ゲーデルという数学者、エッシャーという版画家、そしてバッハという音楽家の三人をモチーフにして、自己言及、再帰性、知識表現、人工知能などについて目もくらむような思考が展開される本とでもいえばよいのでしょうか。
ここでは自己言及だけに言及することにしましょう。ゲーデル不完全性定理では、定理が自分自身に言及します。エッシャーの版画では、絵の全体が絵の一部に埋め込まれます。そしてバッハのフーガでは、1つのテーマが移調・拡大・縮小されて曲中に埋め込まれます。ホフスタッターは、数学・版画・音楽というまったく別の分野の中に「自己言及」という同じテーマを聞き取り、私たちの前に文章として展開してくれるのです。
と書くと、いかにも、ややこしい話ばかりのようですが、そんなことはありません。各章の間にはアキレス、亀、蟹たちの謎めいた対話が置かれ、楽しみつつ読むことができます。しかもその対話は、形式においても内容においても、作者の仕掛けたトリックに満ちています。

アキレス そんなことがありうるかい――
   亀 そんなことがありうるかい――
アキレス ――蟻を食われてしまうのがそのコロニーのためになるなんて?
   蟹 そんなことがありうるかい――
   亀 ――森を燃やすのが森のためになるなんて?
  蟻食 そんなことがありうるかい――
   蟹 ――枝を刈り取られるのが木のためになるなんて?
  蟻食 ――髪を刈られるのがアキレスのためになるなんて?
   亀 みんな議論に熱中して、このバッハのフーガのたったいま生じた美しいストレットを聞き逃したらしいね。
(p.315 ……とフーガの蟻法)

上では、対話の中でストレット(1つのテーマが、はいる間合いを遅らせて各声部に繰り返し入ってくる箇所)を表現していますが、対話の内容もまた、全体と部分の絡み合いについて表現しています。全編この調子で、形式と内容、表現と意味の関係について頭をゆさぶられるように仕組まれているのです。

亀 偶数2Nが二つの奇数の素数の和であるなら、それは「ゴールドバッハ特性」を有し、二つの奇数の素数の差であるなら、それは「亀特性」を有するとしよう。
(中略)
亀 たとえば、1兆がゴールドバッハ特性を有するかどうか、亀特性を有するかどうかを考えてみろよ。むろん、両方とも有するかもしれない。
アキレス 考えることはできるが、どっちの問題にも答えは出せないだろうな。
亀 そうあっさりあきらめちゃだめだ。仮にどっちか片方の答えを出してほしいとぼくが頼んだら。どっちを答えてくれる?
アキレス コインでも投げて決めるね。どっちもたいして違いはないさ。
亀 おいおい!とてつもない違いじゃないか!

どうして「とてつもない違い」なのかは、ちょっとしたクイズですね。
ゲーデルエッシャー・バッハ』をはじめて手に取ると、その厚さに圧倒されてしまうかもしれません。この本をはじめからずっと読み通すのはちょっとつらいかも。私は、頭に知的な刺激が不足してきたときに、この本の適当なページをぱっと開いて読み進めるのが好きです。どこを開いても、そこに書かれているテーマは本全体のテーマにきちんとつながっているのです(自己言及的読書!)。