結城浩のはてなブログ

ふと思いついたことをパタパタと書いてます。

数学への憧れ

数学への恋心という小島寛之先生の記事に、岩波書店の『数論〈1〉Fermatの夢と類体論』という本の紹介が書かれています。
結城が『数学ガールフェルマーの最終定理』という本を書く際にもっとも繰り返して読んだ本の一つがこの『数論』です。小島先生も書いていらっしゃいますが、まったくこの本は衝撃的な本です。結城が感じたのは「数学者は、こんなふうに数学を見ているのか」という思いでした。あちこちにインフォーマルな記述がでてくるんですよね。といっても、念のために書いておきますけれど、この『数論』は、ほんとうの数学の本です。いわば「ガチ数学」です。結城はこの本を全部理解するほどの力はなく、必死で繰り返し読んで、何とか理解できるところをいくつか拾えるという状況なので、えらそうなことは言えないんですけれど…。でも、あちこちに私でも理解できるところはあります。そして、そこに描かれている数学は、拙著『数学ガールフェルマーの最終定理』に非常に大きな影響を与えていると思います。
数学ガール』と『数学ガールフェルマーの最終定理』を書いているとき、結城は「ガチ数学」の本をたくさん読みました。数学の本をたくさん大人買いして、とにかくページを繰って繰り返し読みました。それぞれの本を書くのに数ヶ月から一年くらいかかっていますが、かなりの時間を勉強に使ったと思います。本を読み、考え、自分で手を動かしてみる。そうやって、自分が理解していることを確かめる。…それはあの本に出てくる「僕」と似た行動かもしれません。
プログラムの本ならば、プログラムを実際に書いて動かしてみるということができます。プログラムが動いたなら、少なくとも「動く」というレベルに達したことが確かめられます。でも、数学の本になると…、間違っているかどうかは、考えて確かめることしかできません。自分が勉強して、きちんと理解して、その理解したものを他の人にわかるように文章にしてみて、読み返して、理屈が通っているかどうかを確かめて…ということの繰り返しでした。でも、一年ぐらいそういうことを繰り返すと、最初はまったく手が出なかった数式も、かなり理解できるものだということを実感しました。結城は、根気強さをテトラちゃんに学びました。
結城は数学者じゃないですけれど、数学ってかっこいいなあ、と思うんです。ガチ数学の本を読んでいて、何度も何度も目がくらむような思いを味わいました。「こんな複雑な/抽象的なことを理解できる人がいるんだ」という驚きです。何万年かけても、自分がこの全貌を理解することはできないなあ、という無力感。でもそれが心地良い。なぜかというと、焦る必要がないとわかるから。逆説的ですけれど、そんなふうに思います。目の前に果てしない道があるから、かえって次の一歩に集中できる。本の一行を理解するのに一週間かけてもいい。急いでもしょうがない。そんなふうに思えるからかもしれません。
一生懸命時間をかけて勉強して、理解する。問題を「彼ら」に与えて、彼らに考えてもらって、解いてもらって、物語が生まれていく。その物語の中から厳選したトピックを本にまとめて、出版する。そんなふうにして生まれた『数学ガール』が、多くの読者さんに読まれているのは、とてもうれしいことです。しかも、私の本の中にとどまるのではなく、閉じこもるのではなく、読者さんがもっと広く「数学」や「学ぶこと」に興味を持ってくださっていることは、さらなる喜びです。
『数論』の話を読んだので、思うことをつらつら書きました。みなさんに感謝しつつ。