結城浩のはてなブログ

ふと思いついたことをパタパタと書いてます。

契約の意味

(念のため書いておきますが、すでに論点は今回の出来事からはとても離れています)
ゆきちさんから、結城先生へのお返事という文章でお返事をいただきました。ありがとうございます。
はじめに、私は別に当てつけられたとは感じていません。こういうのは普通のネット上のやりとりだと思っています。もともと、できるだけ肯定的にも否定的にも読めないようにコメントを書いたつもりなので、「肯定的なの?否定的なの?」と聞かれたということは、わたし的にはうれしかったです。
で、ここから先はゆきちさんの結城先生へのお返事を読んでの感想です。
アーティストが「わかってくれる人だけにわかってほしい」というエゴを持っていて、それを社会的常識を超えて要請するシーンがあるというのは理解できます。というか、わりとよくある話ですよね。で、わたしはそれを否定するつもりはないです。
結城が思うのは、もし「わかってくれる人だけにわかってほしい」という気持ちが大切なら、それを大切にするような契約を結べばよいじゃないか、ということです。それなら、わざわざ契約を越えた主張をしなくてもすむ。
作者は「自分の作品をどのように他の人に扱ってもらいたいか」という気持ちを契約に込めるのがよいと思います。自分が大切にしたいものが何かを理解しているなら、それを守るように動くべきだと思います。自分が大切にしたいものといってもたいていは作品そのもの・お金・自分の気持ち・使われ方・利用者…みたいなものが渾然としているはずです。

  • こういう用途にはできれば使って欲しくないけれど、この人だったらいいや
  • こういう使われ方はいやなんだけれど、十分お金をもらえればよいとしよう
  • 大枠はこう決めておくけれど、あとは個別に判断しようかな

…などなど、複雑な要素が絡むはずです。それを整理したものが契約だと思います。
契約は別に空から降ってくるわけではなく、強制的に結ばされるわけでもなく、作者の自由意志で作れるものです。
ですから、わたしの言いたいのは「そんなに大事なものなら、トレードオフを考慮して、ちゃんと契約しましょう」ということです。
(繰り返し書きますが、今回の出来事のアーティストがちゃんと契約していなかったとかそういうことを言いたいのではありません。わたしは事情を詳しく知りませんので、一般論として作者と作品と契約の話を書いています)
以下、すでに話題は音楽の話ではなくソフトの話です(音楽に適用してもよいですが)。
オープンソースのライセンスの非常に、非常に良い点のひとつは「作者に許可を得ずに」そのソフトを使える点です。
Aというオープンソースのソフトが公開されていて、それを使いたいとしましょう。そのときに、Aのライセンスが適切なオープンソースのライセンス(OSDのこと)になっていれば、作者に「あのー、このソフトAをこういう用途に使っても良いでしょうか」という許可を取る必要はありません。
そのソフトを遺伝子組み換え研究に使っても、アダルトな用途に使っても、タバコ販売促進のために使っても、Aの作者は「ライセンス違反」とはいえません。なぜならオープンソースのライセンスは、使用目的に応じた許可/不許可ができないようになっているからです。

  • 自分がいやだと思う使われ方をされるデメリット
  • 自分が想定している範囲よりもずっと広い使われ方をされるメリット
  • 自分がひとつひとつ「これはよい、これはわるい」とコントロールできないデメリット
  • 自分がいちいち「使ってもよいですか」という問い合わせに答えなくてもよいというメリット

作者はメリットとデメリットのトレードオフをよく考えてライセンスを選ぶことになりますね。