手が仕事をする時
仕事をしていると、ときおり「頭が仕事をする」のではなく「手が仕事をする」時がある。
たとえば文章を書いているとき、もう構成はできていて、具体的な細部を書き込んでいるとき、私はときどき「じゃあ、後は、手にまかせておこう」と思うことがある。私は傍観者然として(というのは正しくないな、読者然として)、手が書いていく文章を読んでいる。
プログラムを書いているときもまったく同じようなときがある。リファクタリングをやっていて、ほぼ機械的な変形に入ったときなどによく起こる。もちろんそういうときにインテリジェントな統合環境を使っていれば自動化ができるのかもしれないけれど、私は「手が仕事をする」様子を眺めているのが好きなので、あまり自動化したいという気持ちはない。そういう決まりきったプログラム変形をやっていると、なんとなくそのプログラムをいじりまわしている感じがするからかもしれない。
しかし…矛盾したことを書くようだが、あまりにもその繰り返しが頻繁になってくると、自動化したくなるという場合もある。つまり、面白みというのは新しい部分と機械的な部分のはざまにある微妙な領域に存在するらしい。通り抜けができることはわかっているけれど、まだ通り慣れるというほどではない小道。
ところで、仕事とは関係なく、手が語りたがる場合もある。何をどうすればいいか、何を書きたいのか自分でもよくわからないんだけれど、手がむずむずするような感じがして、とりあえずキーボードに向かうこともある。そして「はい、どうぞ。好きなことを何でも書いていいですよ」と手に言う。そして手が語り出すのをじっと待つ。リラックスして、待つ。
そのうちに手がゆっくりと言葉をつむぎはじめる。細い糸の端をどこからか見つけ出し、切らないように注意しつつ手繰っていく。そして編み、集め、広げ、少しずつ大きく…。思いもかけず大きなタペストリが作られることもある。
- 文章を書く日々(2003年5月23日の日記)
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