(4) アルマさん、悩みを語る
午前中、自分の部屋で一仕事を終えてから、気分転換にロビーに降りる。エレベータホールにあるすわり心地のよい椅子に座って、エラリイ・クイーンの『フォックス家の殺人』をゆっくりと読む。エレベータホールなので、いろんな人が通りかかる。ときどき私に会釈してくださったりする。私も本から顔を上げてにっこりする。あまりにものんびりするので、うっかり眠りそうになる。
ふと、向こうから白いシャツの女性が早足で私のほうに歩いてくるのが見えた。年齢は...女性の年齢ってわからないけれど、30歳くらい?いや20台後半くらいかな。
女性「あの、結城さんですよね。」
結城「はい。そうですよ。」
女性「あの、どうやったら自分の仕事ってできるんですか!」
結城「は?」
女性のせっぱ詰まったような声に、エレベータを待っていた人の何人かが振り返った。何となく込み入った話になりそうなので、場所を変えることにする。私は本を閉じ、その女性を連れて庭園に出た。あちこちに大きな丸テーブルが置かれ、そこに日よけのパラソルが広がっている。庭園は全体がいわばオープンカフェになっているのだ。私は通りかかったボーイさんに飲み物を頼み、テーブルについた。女性は外にでてまぶしそうな顔つきをしていたが、私の向かいに座った。
空は青く、日差しは強いけれど、穏やかな風があるせいか、とてもさわやかだ。
結城「あの、お名前をおうかがいしてもよいですか?」
女性「あ、すみません。私はアルマと申します。はじめまして。何だかさっきはいきなり変なことを言ってしまってすみませんでした。」
結城「いいえ、別に。アルマさんは会社にお勤めですか?」
アルマ「はい、ソフトの会社に。入社して3年すぎたところです。」
結城「先ほど『自分の仕事』とおっしゃってましたよね。」
アルマ「はい。結城さんは結城さんのお仕事をなさっていますよね。どうしたらそういう自分のお仕事をすることができるんでしょうか。」
結城「確かに、私は自分の仕事をしていますけれど、アルマさんのいう「自分の仕事」っていうのはどういう感じなんでしょう。自分なりの仕事、ということでしょうか。」
アルマ「自分がこうやりたい、っていう仕事です。」
結城「アルマさんはソフトの会社で、プログラムを書いていらっしゃるんですか?」
アルマ「はい...いいえ。なんていったらいいのかしら。ごめんなさい。話がぐちゃぐちゃしていて。」
結城「いえ、大丈夫ですよ。時間はたっぷりありますから、ゆっくりあなたの思うとおり話してくださっていいんですよ。」
そこに、ボーイさんが飲み物を運んでくる。私はアイスティ、彼女はアイスコーヒー。彼女は一口飲むと、ちょっと考えてからまた話し出した。
アルマ「私は、大学時代からプログラムは好きで、学校の授業とは別に本を買って独学で勉強して、プログラミングを学びました。Cでプログラムを書くことができます。プログラミングは楽しかったし、プログラマになっていろんなプログラムを書きたいって思いました。」
結城「なるほど。」
アルマ「それで、入社するときも、プログラマ志望でした。でも、入社して研修が終わった後、最初に配属されたプロジェクトでは、Cでプログラムを書かせてもらえませんでした。」
結城「というと?」
アルマ「そのプロジェクトはWebサイトを作るもので、プログラムを作るというよりも、大量のHTMLファイルを作るほうが重要だったんです。で私は入社したてだったので、仕事に慣れてもらおうということでそのHTMLファイルを作る作業にまわされたんです。」
結城「ふむ。HTMLは知っていたんですか。」
アルマ「いえ、あまり知らなくて、でも会社でも何も教えてくれなくて、また独学でがんばりました。いまから思えば、ぜんぜん人数が足りないプロジェクトだったんです。私は何もわからず、がむしゃらに言われた仕事をしてきました。」
結城「なるほど。人数が足りないとつらいですよね。」
アルマ「はい。すごく大変でした。ショックだったのは、その時期に大きな別プロジェクトが立ち上がりはじめていて、そっちに参加できていたら、プログラマとしての腕をふるえたんです。でもタイミングが悪くて...」
結城「タイミング?」
アルマ「Webサイトのプロジェクトをやっていたので、別プロジェクトには参加できなかったんです。同期入社のほかの人は何人もその別プロジェクトにプログラマとして参加したのに。」
結城「なるほど、タイミングが悪かったということなんですね。」
アルマ「それに気が付くのが遅くて、気が付いたときにはプログラマはもう足りているという状態。Webサイトのプロジェクトが落ち着いたころには、もうその波には乗れなかったんです。」
結城「別プロジェクトには参加できなかったということですか?」
アルマ「いいえ、参加できたことはできたんですよ。でもプログラマとしてではなく、テスト要員としてでした。もうがっかりなんです。」
結城「ふむふむ。プログラムは書かせてもらえなかったんですね。」
アルマ「そうです。でも、テストって重要ですよね。」
結城「ええ、とても重要です。」
アルマ「だから、テストの方法論とかも一生懸命勉強して、綿密なテストをするように考えたんですよ。与えられたテスト計画とは別に、自分なりのテストを考えて。」
結城「工夫したんですね。」
アルマ「すごくがんばりました。その結果、たくさんバグを見つけたんです。」
結城「それはすごい。」
アルマ「でも、バグを見つけても、プログラマたちはいやな顔するばかりで。何でそんなにがんばってバグを見つけるんだといわんばかりに。」
結城「ふうむ。」
アルマ「バグを私が作り出しているわけじゃないんですよ! 自分たちがバグを作っておいて、それを見つけたから嫌な顔するってひどい。」
結城「なるほど、なるほど。」
アルマ「がんばってがんばって、たくさんバグを見つけて、ていねいなバグ報告書もたくさん出して、うらまれているんです。馬鹿みたいでしょ。」
結城「あなたの上司…というか、マネージャはいるんですよね。その人の評価は…」
アルマ「ああ、もう腹が立つことばかりで。確かに上司は見ていました。私の仕事振りも評価してくれています。でも、がんばりすぎたせいか、次のプロジェクトでは、プログラマではなく最初からテスト要員にさせられました。テストをする作業と、アルバイトとパートのテスト要員の管理をする仕事です。私はプログラムを書きたくて、プログラマをやりたくて、この会社に入ったんです。がんばってがんばって、でもそのがんばりのせいで、自分のやりたい仕事ができないっていう…。」
アルマさんは顔を下に向けて黙ってしまった。アイスコーヒーの氷はもうすっかり解けている。
結城「アルマさん。」
アルマさんはゆっくり顔を上げる。
アルマ「…はい。」
結城「わたしはあなたの現状に対して、答えを持っているわけでもないし、有益なアドバイスもできそうにないんですが、何点か聞きたいことがあるんです。いいですか?」
アルマ「ええ。」
結城「アルマさんの会社では、プロジェクト単位で仕事が進んでいくんですか。部署とか所属のようなものはある?」
アルマ「ええ、一応ありますけれど、基本的に仕事はプロジェクト単位で動いていて、そこに人が割り振られるという形みたいです。」
結城「プロジェクトは何人規模くらいなんでしょうか。」
アルマ「そうですねえ...。3人のものから多くて20人くらいですか。でも、いろいろです。」
結城「そしてプロジェクトのマネージメントをする人がいる。」
アルマ「はい。」
結城「あなたの「プログラマをやりたい」っていう希望は、マネージメントをする人たちには伝わっているんでしょうか。」
アルマ「伝わっていますよ。もちろん。入社のときにちゃんと言いましたし。」
結城「それ以降は?」
アルマ「特には言ってませんが…伝わっていると思いますよ。」
結城「いや、別に疑っているわけではありませんけれど、ただ、あなたの「気持ち」…たとえばあなたが私に話してくれたような不満や、希望など…は、あなたの心のうちでは大きいものとなっているでしょうけれど、あなたの上司やマネージメントする人の心の中ではどうでしょうね。もしかしたら、伝わっていないかも、と思ったので。」
アルマ「よくわかりません。」
結城「あまりそういう話って、上司とはしない?」
アルマ「みんな、むちゃくちゃ忙しいんですよ。」
結城「ふむ。あ、そうだ。あなたの同期のお友達とはそういう話をしたりはしない?」
アルマ「そういう話?」
結城「だから、プログラマをやりたいけれど、なかなかさせてもらえない、っていう話。」
アルマ「いえ、特には…というか、あまり同期の友達っていないんです。私、何だか煙たがられているみたいで。」
結城「煙たがられている?」
アルマ「お昼のときなど、グループができて食事にいったり、回りもちでお弁当買いに行ったりするんですよ。」
結城「はい。仲間の分もあわせて買いに行くんですね。」
アルマ「そう。近くのデパ地下に。でも、私はあまり食事にも誘われなくて、お弁当のグループにも入っていないんです。」
結城「なるほど。あなたは一人で食事に行く?」
アルマ「いえ、自分でお弁当を自宅で作って。」
結城「あ、えらいですね。」
アルマ「えらくないです。私ってそんなに煙たいですか。どう思います?」
結城「いや、特には。でも、どうなんでしょう、他の人はあなたほどは一生懸命になっていない、ということはありませんか。仕事に対して。」
アルマ「…あります。みんな、勉強しないんですよ。それに仕事も、もっと工夫してやろうって思ってない。できればいいや、いわれたことやればいいや、っていうスタンスみたいで。やっぱり私、煙たいのかなあ。もっと要領よくやればよいのかなあ。」
結城「いま3年目っておっしゃってましたよね。転職しようとは思わなかった?」
アルマ「そういう時代じゃなかったんです。仕事があるだけで御の字と思わなければいけない時代で。それに、もっと自分で経験をつまなければ、転職しようにも自分の「売り」がないような気がして…。いえ、違いますね。あまりそこまで考えていなかったかもしれません。」
結城「売り、ですか。」
アルマ「私にはまだまだ技術が足りないし、勉強も足りない。プログラマとしての経験をつけようと思ったのに、プログラマとしての仕事をさせてもらえない。仕事、仕事、仕事。私はいつになったら自分の仕事ができるんだろう、ってすごくあせっちゃうんです。」
結城「なるほど、あなたのおっしゃる「自分の仕事」ということがよくわかりました。」
アルマ「どうしたら、自分の仕事ができるんでしょう。何で私っていつもこうなんでしょう。タイミングがわるいというか、要領が悪いというか。がんばっているのに、何でこうなるんですか。」
結城「申し訳ありませんが、私にも答えはわからないんですよ。」
アルマ「…そうですよね。ごめんなさい。」
結城「あなたがこのキャンプに来ようと思ったのも…」
アルマ「ええ、そうです。どうしたら自分の仕事をつかめるか、というきっかけがほしくて。」
結城「ふむ。」
アルマ「いろんな人と話すことができて、勉強にはなりました。でも、肝心の私の仕事の問題の答えは見つかりません。今回のキャンプにはプログラミングのお仕事をしているひともたくさん来られています。みんな、生き生きと仕事をしていて、私みたいに「自分の仕事ができない」って人はだれもいないみたい。」
結城「まあ、実際にはみなさんいろんな悩みはあるようですけれどね。」
アルマ「でも、私はそう見えるんです! みんなにこにこして、忙しいながらも余裕を持って仕事をしているようです。私よりも若い人でも、ばりばり「自分の仕事」をしている人がいます。わたしばかりキリキリしていて、何だかこう…すごくつらくて…コンプレックスの塊になっちゃいそうです。」
結城「コンプレックス?」
アルマ「ええ、コンプレックスです。会社に入ってからというわけでもないんです。中学のときも、高校のときも、クラスで私は孤立していました。なぜか友達もできないし、勉強して成績はよかったんですけれど、先生とも友達ともしっくりいかなくて。私ってずっとこういう調子なんですよ。これからもずっとこういう調子なんでしょうか。…なんて結城さんにいってもしかたがないですよね。ごめんなさい。」
結城「いえ、私はあなたのお話を聞く以外、何もできないんですが。ごめんなさいね。」
アルマ「…」
結城「でも、あなたが感じていらっしゃるお気持ちと同じようなことを感じつつ仕事をしている人は、意外にたくさんいそうな気もします。」
アルマ「そうでしょうか。」
結城「もちろん、あなたとまったく同じ気持ちではないでしょうけれど、疎外感や孤独、それから自分のやっている仕事が報われていない感覚。これからの自分の姿を思い描くことができないという悩み。そこまで抽象化すると、多くの人が、特にあなたくらいの年代では多いかもしれないですね。」
アルマ「そうなんですかねえ。」
しばらく沈黙が流れる。白い雲が一つ、空を流れていく。庭園の向こう側をせかせか歩いているグリーン博士が見える。
結城「もしよければ、一言お祈りしましょうか。」
アルマ「え? はい、お願いします。」
結城「じゃあ、お祈りしますね。」
愛する天のお父さま。あなたの御名前を賛美します。
あなたは素晴らしい方、この美しい天地をお創りになり、
わたしたちひとりひとりを住まわせてくださる方、
あなたの栄光をほめたたえます。
いま、アルマさんのために、
またアルマさんと同じような思いを抱いている方のために祈ります。
アルマさんは、一生懸命に仕事をなさっています。
自分なりに工夫をし、また新しいことにも積極的に取り組み、努力をしていらっしゃいます。
けれど、なかなか自分の進みたい方向、
自分のやりたいと願っている仕事に向かうことができません。
イエスさま、あなたがどうか、この方のところに来てくださって、
心を支え、励ましを与えてください。よい知恵を与えてください。
あなたはすべてをご存知です。あなたはすべてをごらんになっておられます。
私たちには見えないものも、すべて、イエスさまはごらんになっておられます。
この方の上司さん、また仕事に関係する方々の上に、主ご自身が働いてくださって、
主のみこころにかなう仕事に取り組むチャンスが与えられますように。
また、この方が他の方と話をする時、その場にイエスさまがいてくださって、
すべて、よい方向へと導いてください。
神さま、あなたはこの方が生まれる前から、この方を愛してくださっています。
こよなく愛してくださっています。たった一人のスペシャルな存在として、
愛してくださっています。そのことを本当に感謝します。
神さま、あなたはこの方にご計画をお持ちです。
あなたのご計画が完全に成就し、この方の人生を豊かな愛で満たしてください。
この方のご家族の上にも神さまの祝福が常にありますように。
この小さき祈りを、私たちの救い主、イエス・キリストのお名前で
御前におささげいたします。
アーメン!
アルマ「…ありがとうございます。長い時間、話を聞いていただいてありがとうございました。」
結城「いえいえ。本当に、あなたの人生、あなたの毎日に、神さまの祝福がありますように。」
アルマ「はい。結城さんと、それからご家族にも!」